日本語学部日本語学科
卒 業 論 文
題 名 日本人の集団意識について
論文作成者 張賽箭
指導教官 任猶龍
日付2006年4月28日
中文摘要
日本人拥有一颗团结的心---日本人的集团主义。日本人把自己看成是属于某个集团的意识,即``集团志向``很强。集团意识可以说是日本人最具特点的国民性,这种集团意识起源于其稻作文化.
在日本人的集团意识中,内外有别又是重要的心理特征,又体现出日本人强烈的依赖心理.
日本的集团意识属于一种思想理念.它与集团的行为相结合,会产生强大的物质力量----无论是积极进步的行为还是消极甚至反动的行为、他们的这种集团意识之所以值得我们借鉴,是因为我们在祖国的现代化建设事业中,尤其需要增强国家意识,大局意识,团结一心,忘我奋斗,在国家和民族的发展进步中体现个人价值,实现个人追求.
日本語概要
日本人が団結な心を持っていることである。即ち日本人の集団主義。日本人は自分がある集団に属しているという意識、つまり集団志向が強い。集団意識が日本人のもっとも独特な国民性といえる、この集団意識の源は稲作文化の影響にある。
日本人の集団意識の中で内外に別あることも重要な心理的特色の一つである。また日本人の強い依頼心理か表れている。
いずれにしても、日本の集団意識が一種思想理念に属し、集団行為と結びついて、強い力を生み出すーーー積極的な進歩行為であろうと、消極的反動的行為であろうと、この集団意識は参考になる値打ちがある、われわれは祖国の現代化建設事業の中で、特に国家意識、大局意識、団結の心、努力奮闘する精神をもって、国家と民族の発展進歩中で個人の価値を実現させる。
日本人的集团意识
日本人非常勤劳,这种评价在国际上已经得到公认。作为日本人的国民性的特征对许多人进行了指摘,可以举出很多的共通性.很多日本人集合在一起的话,例如,年龄和社会地位等根据很多的基准有相互的系列意识.而且也受到了行动样式的影响.而且日语的敬语也非常的发达,这个也是日本人重视上下关系的产物.欧美人把自己的意见和意思直接的表达给对方,对于自己强烈的主张.日本人考虑到对方的心情和立场,经过考虑后再发言行动的倾向比较强烈.更进一步,日本人的倾向说是和不是的时候不清楚的表示,日本人有这样的行动,而且期待对方也是日本人的共性,从古时候开始基于传统已避免无用的摩擦.但更重要的是,日本人拥有一颗团结的心---日本人的集团主义。日本人把自己看成是属于某个集团的意识,即``集团志向``很强。另外,日本人聚在一起共事,重视在集团中地位的上下级关系,很多事都要按照上下级关系行事。
集团主义当然有利有弊。第二次世界大战后日本经济得到了飞快的发展,如此的发展到底和日本人的这种集团意识有多大的关系。我们中国人应该如何借鉴这种精神,以及这种精神的利弊是我研究的主要问题。
日本人的集团主义,从第二次世界大战时的``玉碎``,集团自杀的悲剧和``一亿人一条心``的口号,一直到如今企业经营,工薪社会注重集体的和睦关系,乃至学生身穿统一的校服等,已深深扎根于扶桑大地。
对日本人的集团性的一种流行的描述就是,日本人就像蜜蜂,就单个个体而言未必优秀,但是,一旦结成一个小群体,小集团以后,协调默契的配合却给他们带来了巨大的力量。
举丰田公司的企业经营为例,丰田公司成立之初,只有几个人工作,而且厂房设备什么的都比较落后,跟当时欧美国家的公司根本不能竞争。到今天成为世界500强的企业,从小到大,从弱到强,在激烈的竞争中逐步发展起来的。他们的创业精神,创新精神,敬业精神,拼搏精神,尤其是团结精神值得我们学习和借鉴。
日本的企业也可以说集团主义,重视人们之间的关系,为此,在企业内对内对外有各种各样的活动.因为对一般的人来说人生的一大半在公司里面度过的,交流以公司为中心,这样的人类关系变的圆滑对于商人是重要的条件.很多公司,定期的举行全体组织或者各个部门的行事,那个是工作人员的家族一起参加的运动会,对于社员旅行,转职人员送别会或者欢迎会,年末的忘年会等等很多.这样的行事也是日本家族主义的习惯,人们关系紧密的同时,组织是自己的生命的共同体的意识,谋求组织活性化的效果,公司内也有很多同好会.从运动到文学象棋等兴趣部分,到利用公司内的厚生设施活动.这样的活动没有劳使的区别,营业干部和一般社员一起玩也是经常的事情.
丰田汽车公司视所有员工为丰田大家庭的成员,在人格上尊重每个员工,在经济上让员工在公司的发展中增加收入,劳保退休福利等.在调动工作积极性的同时,重视员工的业余文化生活.大力号召职工参加本公司的运动会和文化教育会.在3000名总职工人数中,橄榄球,排球,游泳,滑雪等项目约有一千名会员,围棋,日本象棋,纸牌等约有一千八百名会员.此外,还举办综合运动会,夏令营,成人仪式等活动,平均每月有一次活动.公司以为这些活动不仅可以使职工的身心愉快,寻求自己的快乐,而且可以加深员工人与人之间的关系.丰田重视的是要让大家感觉到公司像家,是一个集体,把公司看成是自己的,这样会更加促进公司的发展壮大.
在日本,人们往往把一个人跟他所在的公司相提并论,人们养成了一种习惯:在提到每人时,称他为``三菱人``或``日立人``等等.而某人向别人作自我介绍时,也往往不说``我是XX君``而是说``我是XX公司的XX君``.这个潜在的集团意识是根深蒂固的,其来源于日本人传统``家``的观念.但这个``家``已不是具有单纯血缘关系的意义了,而是在经营组织基础上建立起来的社会集团.工作集团里的人伦关系延续了人类情感的血缘关系.因此, 日本人对公司的感情是很深的,他们将个人的前途,幸福在很大程度上都寄托在公司上,似乎有一条命运的纽带将他们与公司紧紧地联系在一起了.所以日本人的工作道理感从属于对公司的忠诚感.工作不是苦差使,它具有某种神圣的意思.这就使工人的工作有了目的性.公司好比家庭,首要的是实现整体的繁荣,为公司生活才有意义,而不是个人愿望第一.所谓``爱公司精神``,``新家族主义``,``企业是大家``的等等,都是``家体体制``的体现.正是这种理念,使个人的把自己同集体联系起来了,使集体具有了团结一致的凝集力.
二战后日本的经济得到了飞速的发展.它的家用电器,汽车,计算器等代表着时代最新潮流的商品勇不可挡地打入了国际市场,并遥遥领先.使美国和欧洲一些经济强国对它刮目相看日本人的集团意识这一精神因素,在日本经济发展过程中起了至关重要的作用.
由于日本国土面积狭小,资源缺乏,而且受到地理位置的影响,地震,火山等地质灾害频发,自然环境恶劣,使日本人具有了同甘共苦,团结互助,居安思危和竞争的意识.
2005年10月下旬,日本的新泻经历了一场地震灾难,37人在大地的摇撼中离开了人间,面对生死离别,日本人还是表现了惊人的镇静与独特的坚毅.但你如果去地震避难所-----可以容纳数千人的体育馆去看一看,说不定会有别样的感动.数千人晚上共宿一馆而井然有序,以家庭为单位小心翼翼地占着一小块天地,从高处往下看犹如错落有致,多彩的阡陌桑田.这就是日本人的牢不可破的集团意识-----在灾难中尤其醒目.地震中还涌现了不少``活雷锋 ``,有理发店义务理发,有澡堂提供免费洗澡,有蔬菜店把菜分给大家的----
地震灾难中的日本人已不是第一次让我感动了.1995年阪神大地震后日本人所表现出来的优秀素质是足以令世人震惊.同样是地震,当洛杉矶发生地震后有人抢劫.在日本,却连个小小的犯罪都没有.地震发生后非常缺水,有商店卖水,政府规定一人只能买一瓶.有些人不知道这个规定而买的比较多的,事后主动把多买的水退回到商店去或送给没有水的邻人.一切灾难在日本人的团结精神面前显得苍白,这时候,我们才很好地明白团结就是力量的内涵.记得也是在 1995年的阪神大地震发生后,中国媒体才首次大幅度赞扬日本的民族性,不得不叹服他们的有条理,有次序,以及顽强的意志.
集团意识可以说是日本人最具特点的国民性,这种集团意识起源于其稻作文化.因为种稻不同于广种薄收,靠天吃饭的旱田耕作,兴修水利插秧收割等都需要集体的劳动于合作,由此形成了农村的共同体,产生了集团意识.而日本社会传统的家族制度(武士阶级的家族制度和民众的家族制度)也是产生日本人集团性的另一个重要原因.无论是哪一种家族制度,家长的权威是需要家族成员绝对服从的.因此在日本人的集团内部又有很多的原则:权威的支配和对权威的无条件追随;不允许一切自主性批判反省的社会规范;集团内部的家族式气氛与对外部敌对意识的对立.
在日本人的集团意识中,内外有别又是重要的心理特征.在集团内部,对熟人,日本人讲究的是``和``,讲究的是礼仪周全,替他人着想;他们对集团内部的成员表现的克制,谦和、彬彬有礼,但是对于集团外部的人和事,或者在没有熟人的场合,其行为却变得大胆无礼和无所顾忌.在1937年中国的南京, 为何日本军队能够集体行动对中国军民进行大肆屠杀?因为,在日本人的意识中,集团的行为就是正确的,而且长官的命令必须绝对地无条件服从.他们潜意识里认为:``集体犯罪不是犯罪.``再想想日本人在中国南部某城买春事件,更是对日本人的这个特点表现得淋漓尽致.因为这些日本人是在中国,他们自己的这个小集团之外的社会对他们来讲,是一个完全陌生的环境,这个陌生的环境里没有熟人,所以,对于生人,他们完全可以无所顾忌,任意妄为,并且不需要对此承担任何责任.
在日本人强烈的集团意识中,又体现出日本人强烈的依赖心理.日本人普遍存在和想要依赖他人的心理,这是日本人区别于欧美人的重要心理特征,而这也是理解日本人精神构造和社会构造的关键.正因为有依赖心理,在集团内部担心被别人看不起而失去依赖,所以有``耻的文化``的感觉.正因为这样的依赖心理的存在,日本人在集团内部所表现出了行动和认识的强烈的一致性.
日本人没有一个超越集团之上的超越性价值,因此日本的国家主义就走上了极端化的道路----天皇是日本社会共同体最大的象征,没有任何其他价值能够超越天皇,日本国民在保卫天皇的名义下义无反顾的投入到战争当中,持反战意见少数派对则受到排斥.日本人对少数意见者,要么进行说服,如果不能说服, 则将他赶出集团.战争期间京都大学教授,刑法学者泷川幸辰就因为对天皇持反对意见而被开除教籍.当时日本政界则禁止了一切党派,而以保卫天皇的名义成立了单一的组织``大政翼赞会``,这是日本集团主义的极端体现.
由于这种浓厚的集团意识,日本人往往会质问少数持反对意见的人``你这样还算不算日本人?``日本人并没有真正平等的概念,只有和集团中心距离远近的区别. 但是,最近日本以此相反的个性化,多样化的志向年年变的强烈,集团主义是日本永久不变的特性的看法也许会被重新认识.
总的说来,日本的集团意识属于一种思想理念.它与集团的行为相结合,会产生强大的物质力量----无论是积极进步的行为还是消极甚至反动的行为、他们的这种集团意识之所以值得我们借鉴,是因为我们在祖国的现代化建设事业中,尤其需要增强国家意识,大局意识,团结一心,忘我奋斗,在国家和民族的发展进步中体现个人价值,实现个人追求.而他们的这种集团意识应引起我们警惕,日本国内仍有军国主义复活的土壤,我们不能不警惕他们的动向,和日本人民共同努力,决不容许军国主义利用日本人的集团意识再把日本推向发动侵略的志路.
日本人の集団意識について
日本人は非常によく働くという評価は、いまでは国際的にも定着している。日本人の国民性の特徴として多くの人が指摘しているもののうち、共通性のあるものをいくつか取り上げられる。日本人が何人か集まると、例えば、年齢とか社会的地位など何らかの基準によりお互いにの序列が意識され、それにより行動様式も影響を受ける。また日本語は敬語が非常に発達しているが、これらは日本人が上下関係を重視することによるものである。欧米人は自分の意思や意見を直接相手にふつけて強く自己主張するのに対し、日本人は相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて発言したり行動したりする傾向が強い。更に、日本人にはイエスノーをはっきり表現しない傾向がある。日本人がこのような行動をとり、また、相手にもそれを期待するのは日本人の同質性、無用の摩擦を避けようとする古くからの伝統などに基づくものである。
でも、もっとも重要なのは、日本人が団結な心を持っていることである。即ち日本人の集団主義。日本人は自分がある集団に属しているという意識、つまり集団志向が強い。そして、日本人が集まると、その集団の中での序列が重要な意味を持っている。
集団主義がもちろんよいところがある、一方、悪いところもある。第二次世界大戦後日本の経済が飛ぶように早く発展した。そんな発展が日本人のその集団意識といったいどのような関係がある。われわれ中国人がどうこの精神を勉強すべきか、及びこの精神の利益と弊害は僕の研究の主な問題である。
日本人の集団主義は第2次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心のスローガンから、今日の企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和への重視、果ては学校の生徒の制服に至るまで、すでに日本に広く深く根を張っている。
日本人の集団主義に生き生きとした描写がある。日本人は蜜蜂のように、一人一人の個体は優秀ではないかもしれないが、でも、一旦小さな団体集団を結べば、協力協調により巨大な力を持つようになった。
トヨタ会社の企業経営を例として、トヨタ会社は成立当初、ただ何人かしかいない小企業勤めただった。設備もとても粗末見ようだった。当時の欧米国家の会社と比べれば、絶対だめだった。いまでは世界の500社の一つになった。小から大へ、弱から強へと、激しい競争の中でますます発展してきた。その創業精神、競業精神、奮闘精神、特に団結精神を私たちは必ずよく考えなければならない。
日本の企業は集団主義と言われるように、人間関係の和を重視する、そのために、企業内ではフォーマル及びインフォーマルな様々な催しものが行われる。一般に人生の大半を一つの会社で過ごすために、おのずと付き合いは会社中心となり、こうした人間関係を円滑にすることはビジネスマンにとって重要な条件でもある。多くの会社では、定期的に組織全体、あるいは各セクションごとの行事が行われる、それは従業員の家族も参加する運動会であったり、社員旅行、転勤者に対する送別会、あるいは歓迎会、年末の忘年会など様々である。このような行事は日本の会社の家族主義的慣習で、人間関係を堅密にするとともに、組織は運命共同体であるという意識を持たせ、組織の活性化を図るという効果もある。会社内には様々な同好会がある。スポッツから文学、将棋といった趣味の分野に至るまであり、社内の厚生施設を利用し、活動している。こうした活動では労使の区別はなく、経営幹部も一般社員と一緒になって楽しむのが普通である。
トヨタ自動車会社はすべての社員をトヨタ大家庭の一員と見て、全員の人格を尊重し、会社の発展とともに社員の収入を増加させるし定年の福祉も保障する。仕事の意欲を引き上げると同時に、余暇の文化生活も重視する。職員が会社の運動会と文化教育会に参加する。職員3000名の中で、ラグビー、バレーボール、水泳、スキーなどの項目の会員約1000ぐらいがいる、囲碁、日本将棋、トランプなどは約1800ぐらいの会員がいる。その他、また総合運動会を催す、サマーキャンプ、成人式などの活動は平均一か月一回ある。会社がこう見ている。その活動で職員は嬉しくなるし、職員間の人間の関係も深くなる。トヨタ自動車会社がみんなに会社を自分の家のように感じさせることを重視する。みんなが会社を自分のものと見るなら会社の発展強化にもつながる。
日本で、人々はいつも会社員と彼の働く会社と同等に見る、人々は一種の習慣をつけている。ある人のこと言う時、彼を「三菱人」とか「日立人」という。相手に自己紹介する時、「私はXX」と言わず、「私はXX会社のXX」と言う。そんな心に潜んだ集団意識が根強い。その源は日本人の伝統的な観念「家」である。でも、この「家」はもう単純な血縁の意味での家ではない。経営組織の基礎の上に立った社会集団である。仕事の集団の人間関係が血縁関係の延長である。だから、日本人が会社に深い感情を持って、彼らが個人の前途と幸福を会社に託して、運命のつなが彼たちと会社をかたく結び付けているようだ。だから、日本人の仕事の道理感が会社への忠誠感につぐこのつぎのものである。仕事は苦しいことではない、ある種の神聖な意味をもっている。それで社員が働く目的を持つようになる。会社が家庭のようで、一番大切なのは全体の繁栄を実現することである、会社のために生活し、個人の希望が第一ではない。いわゆる「会社を愛する精神」、「新家族主義」、「企業は大家庭」などはみんな「家体体制」の現れである。この理念が原因で、自分と集団がむすびついて、集団が団結の凝集力を持つようになる。
第二次世界大戦後日本の経済が飛ぶように早く発展した.家庭電器、自動車、パソコンなど最新の商品が先進国際市場に入った、そして技術がはるかにリードしている。欧米などの経済国に目で見張らせた。日本人の集団意識という精神的要素が日本経済発展の中でもっとも肝心な役割を果たした。
日本国土の面積が狭い。資源が乏しい。そして、地理位置の影響で、地震、火山などの地質災害が頻発する、自然環境の中で、日本人が苦楽を共にし、お互いに助け合って、安定した状態にあっても危険に備え、競争する意識を持つようになった。
2005年10月下旬、日本の新潟に地震が起こって、37人が地震の中で亡くなった、生別に直面して、日本人は落ち着きと特な剛毅を見せた。地震避難所ーーー数千人を収容する体育館に行って見れば、またの感動させられるかもしれない。数千人が夜一つの部屋に寝でたが、きちんとしていた、家庭を単位として気をつけて小さい面積だけ占めていた、高いところから見れば秩序正しい、多彩な畑のようであった。これは日本人のつよい集団意識である。それは災難の中では特に目につく、地震中またたくさんの生きた「活雷锋」が現れた、理髪店が無料で理髪したり、無料でお風呂を提供したり、八百屋が無料で野菜をみんなに配ったりした。
地震に見舞われた日本人に感動させられたのはもうはじめてではない。1995年坂神大地震で日本人の優秀な素質が世界中の人をに驚かせた。同じ地震でも、ロサンゼルスで発生した後強盗事件もあった。日本では、ひとつも小さい犯罪がなっかた。地震発生後水が非常に欠乏した。水を売る商店もあった。政府の規定により一人に一本しか買えないが。この規定が分からない人が多く買った。政府の規定を知った後、そのひとは水を自覚的に商店に送り戻すかあるいはみずのない人に送った。災難は日本人の団結精神の前では無力になる、その時、われわれは団結力こそという言葉の意味を今更のようにかみ締めた。1995 年の阪神大地震、発生後、中国のマスコミが始めて大いに日本の民族性をほめたたえた。日本人の序理性、条理性及びしっかりした意志に敬服を示した。
集団意識が日本人のもっとも独特な国民性といえる、この集団意識の源は稲作文化の影響にある。稲作は天候次第で収得する畑の耕作、と違って、水利を修理し、田植えも刈り入れなども集団労働と合作が必要なのだ、それで、農村で共同体を結んで集団意識が生まれた。日本社会の伝統的な家族制度が日本人の集団性のもうひとつの重要な原因である。どんな家族制度であろうと、父母の権威が家族メンバーの絶対服従を必要とするから、日本の集団内部でまたたくさんの原則がある。権威の支配と権威へのに無条件服従自主的批判反省の社会規範がすべて許されない。集団内部の家族式気風と対外敵対意識との対立などがそれである。
日本人の集団意識の中で内外に別あることも重要な心理的特色の一つである。集団の内部で、知人にたいして、日本人は「和」を重んじる、礼儀正しく、他人ためのを思うことを重んじる;集団内部の人に対しては現しは自制に、謙虚で、雅やかで礼儀ただしいのだが、でも、集団外部の人と事に対しては、あるいは、知人がない場合には、その行為が大胆無礼で禅子ことを知らなくなる。1937年中国の南京で、どうして、日本軍隊が集団行動で大虐殺したのか?日本人の意識の中では、集団の行為は間違いないものだから。長官の命令に絶対に無条件で服従しなければならない。彼たちはこころから、「集団犯罪は犯罪ではない」と思っている。また日本人が集団で中国へきてある都市で売春ッアー事件が日本人のこの特点のもっと型的な例である。中国にというその小集団以外の社会が彼たちにとって、すっかり見知らぬ環境だ。見知らぬ環境の中で知人がないのだから、見知らぬ人に、彼たちはすっかり何禅ることなく、勝手なことをしても、何も責任を負う必要がない。
日本人の強い集団意識の中に、また日本人の強い依頼心理か表れている。日本人は他人に依頼する心理がある、これは日本人が欧米人と違い重要な心理特徴である。これは日本人の精神構造と社会構造を理解するポイントでもある。依頼心理があるからこそ、集団内部で他の人に軽蔑されそれで依頼を失うことを心配もするの、だから、「恥の文化」が生まれる。そんな依頼心理が存在するからこそ、集団内部で行動と認識の高度のな一致性が表れた。
日本人は集団の上に立つ個人の超越性価値を認めない。だから、日本の国家主義が極端化の道路に入った。天皇は日本社会共同体の最大の象徴である、天皇を越えるほかの値段がないのである、日本国民が天皇を守る名義の下で考えもしないで戦争に加わった。反戦意見をもつ少数派が排斥された。日本人異議を持つ小数の人を説得し、説得できなければ、集団から追い出す。戦争の間京都のある大学教授、刑法学者竜川幸辰が天皇に反対意見を持つから、教籍を免職された。その時日本政界がすべての政党を取り締まり、天皇を守る名義の下で唯一の組織‘‘大政翼赞会’’を創立した、これは日本集団主義の極端的現れである。
この強い集団意識のせいで、日本人はいつも反対意見を持つ小数の人に「あなたはそれでも日本人ですか」と質問する、日本人には本当の平等な考えがない。集団の中心との距離が遠いか近いかの区別しかないのである。しかし、最近は日本ではこれとは逆に個性化、多様化への志向が年々強まっており、集団主義を日本人の永久不変の特性とする見方が見直される時代も来るかもしれない。
いずれにしても、日本の集団意識が一種思想理念に属し、集団行為と結びついて、強い力を生み出すーーー積極的な進歩行為であろうと、消極的反動的行為であろうと、この集団意識は参考になる値打ちがある、われわれは祖国の現代化建設事業の中で、特に国家意識、大局意識、団結の心、努力奮闘する精神をもって、国家と民族の発展進歩中で個人の価値を実現させる必要がある同時に、日本人のその集団意識をわれわれは警戒すべきである。日本国内に軍国主義勢力も存在しているがら、われわれはかれたちの動向に注意しなければならない。われわれ中国人が日本人民とともに努力して、軍国主義が日本人の集団意識を利用して、侵略の道へ進むのことを決して許さない。
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